ウクライナの歴史をみて
クリミア半島のロシア編入事変に伴いNHKで特別番組が2014年の5月と12月に放映されていて、録画記録が残っていたので見直した。
今回の戦争は起きるべくして起きたと言えなくないと思う。
いや、これはヨーロッパという区域においての内戦と位置付けた方がいいのではなかろうか。
つまり、アジア地域が絡むべきではないのではなかろうか。
であれば、中国とインドの立ち位置も理解できるし、逆に日本がアメリカに右に倣えしているのが不自然だ。
人道的立場でウクライナを支援するという事は理解できるが、ヨーロッパ側に立ってロシアに経済制裁を加えるのは、筋違いと思えてきた。
改めて歴史を振り返った場合ウクライナの成り立ちは複雑すぎて、プーチンの言い分も決して理不尽では無いのではなかろうか。
そして、ゼレンスキーの行動も決して正義とは思えなくなってきた。
日本は この事情に踏み入るべきでは無いとも思う。
少なくとも、今のメディアで戦争反対=ロシア排除という構図が成り立っている状況に欧米のご都合主義に危機感を感じる。
たしかに戦争の結果として民衆の悲劇的な状況がメディアで報道され、感情に訴える事でロシアの非道を論じている。
が、しかし ヨーロッパの歴史から見れば珍しくなく、幾度となく繰り返されている血みどろの再編のひとつとしか見えない。
そう、再編のひとつと考えれば過程の紛争としか見えないのだ。
民族的、宗教的、文化的 観点からヨーロッパとアジアとは全く違う価値観で成り立っている。
かつての第2次世界大戦では、ヨーロッパ戦線と太平洋戦争と大きく分ける事ができる。
かつて三国同盟であった、ドイツ、イタリア、日本だが、戦争に至った事情は異なる。
ヨーロッパ戦線では主たるはドイツの事情だ。
そして太平洋戦争はヨーロッパのアジア植民地政策に対した日本の資源戦争による事情だ。
ウクライナはヨーロッパ戦線における流れで、ポーランド、ドイツ(ナチス)、ロシア、トルコ、カナダなどなど、宗教もいれればギリシャも関わってくる複雑な場所柄。
日本の政治家は どこまで歴史的背景をみて外交を行っているのだろうか。
少し不安だ。